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2.議員活動10年目。

 この9年間にいろんなことがありました。

私は、嵐山町に計画されているコリンズカントリークラブを阻止するために、嵐山町議員になりました。現在も、コリンズカントリークラブは、建設されていません。

バブル崩壊で、資金がないためです。コリンズカントリークラブの計画された9年前と現在は全く異なっています。どの市町村も、財政圧迫で苦しんでいます。議員になると、議員の感覚にと普通の人と大きなずれがあることに気付きます。政治に関る人に、普通の人の感覚があれば、このような財政圧迫を避けることができたのではないかと考えます。

選挙を経て議員に当選すると偉い人になった気分がするものです。それが助長して、議員は公費でお酒を飲んだり、女性コンパニオンに接待されて当然と思ったり、企業や市民に仕事の斡旋をし、見かえり(金銭や、票)を求めます。偉い人なので、批判されることに憤りを感じます。

9年間を振りかえってみると議会を市民感覚に戻そうと動いていると思っています。

わかりやすい例が、ボートピア誘致に関る襲撃です。ボートピア誘致は、議員に普通感覚があれば「おかしい」と疑問を感じるものです。

ボートピア誘致に関る襲撃後は、生まれた時からの人間への信頼関係を作っていく過程のやり直しが必要だと思うほど厳しいものでした。犯罪の怖さは、人の安心感と信頼関係をつくる力を破壊していくことです。嵐山町を犯罪に巻き込んでしまった一部の議員には反省を求めたいのですが、彼女達は「自分は知らなかった」で済ませています。

議会を普通感覚にする働きかけは、議員の多くに煙たがられます。批判されることに憤りを感じて、多数決で批判を否定しようとします。そのような時、司法に訴える方法で社会に問題提議をせざるえません。社会への問題提議は、内部告発をすることと同じですから、また普通感覚に戻そうとすることに対しての怒りがおこります。議会のパワーゲームが始まり、「渋谷のやることは気にいらない」と、議案審議を左右し、市民意識とはかけ離れた結果になることもあります。県知事に対しての犯罪被害者支援の確立を求める意見書の否決は、その典型です。

議員の一人一人には、普通感覚があります。ところがいったん議員に当選すると議員は偉い人という旧来からの感覚を変革することへの抵抗が強く、なかなか議会が普通感覚にならないのです。

そのうち、一人一人の議員がもっている良識が普通感覚に戻ろうという意識につながると、と希望的観測ではいます。

議員は多くの知識を要求され、バランス感覚と決断力の必要な仕事ですが、普通の人のセンスを、いつもいつも持っていなくては、やっていけない仕事です。

もうすぐ、10年目を迎えますが、市民と結びついた存在であることを忘れることなく議員活動をしていきます。

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