犯罪被害者の会幹事を辞任しました

 

 2001年11月18日をもって犯罪被害者の会幹事を辞任しました。

被害者支援、被害者の権利を確立する運動体を作ることは、さまざまな課題を抱えていると思っています。問題点を簡単に報告します。

1、             犯罪被害者の会発足と辞任までの経緯

2、             辞任の理由

3、             大阪教育大付属池田小事件の遺族への対応から

4、             被害者支援を創る会

 

 

 

1、        犯罪被害者の会発足と辞任までの経緯

 1999年10月に公表された日弁連「被害者基本法要綱案の最終案」に『被害者の権利』の概念が削られていました。5月当初の段階で前文に盛り込まれていた『被害者の権利』は、さまざまなワーキンググループが加わって要綱案を作る段階で「被害者の権利」はなくなってしまいました。

私は、被害者の権利を司法制度に確立したい、そのためには「被害者の権利」が明記された法律の制定が必要であると考えています。弁護士グループでは、やはり被害者の権利確立は難しい事なのではないかと危惧をいだき、被害者の権利は、被害者が自ら働きかけて創出したいとおもいました。

そして、岡村勲さん、林良平さん、本村洋さん、宮園誠也さんの5人で発起人として1999年10月31日に「犯罪被害者の会」設立準備会を発足し、2000年1月23日に設立しました。

会を運営していくなかで、私と「被害者の会」幹事会とは異なることがはっきりしました。

 「犯罪被害者の会」の運動論、そして加害者への報復感情からの『被害者の権利』を確立する働きかけは、私にはできない、立場を明確にしなくてはならないだろうと考えるようになったのは、2000年9月に行なった大阪の被害者シンポジウムからの運営上の問題からです。

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2、辞任の理由

辞任の理由は、大きく3つあります。

 

1、復讐権について

  被害者の会幹事会は、遺族がほとんどです。幹事の多くは、加害者に死刑を望み、復讐を刑事司法のなかで実現したいと強く主張しています。

 私は、『復讐権』を認めた社会は、人間の文明を滅ぼすと考えています。被害者の『復讐したい』という情念を社会に伝え体という思いを否定しがたいものがあります。しかし、国家が被害者に代わって復讐することを刑罰として捉え刑事司法の改革を世論として確立する働きかけをすることは、私にはできません。

 死刑を廃止すること、それに真っ向方対立して死刑執行を求める動きもあります。

私は、被害者の権利確立は、加害者の刑罰に係らず進めたいと考えています。しかし、「犯罪被害者の会」の幹事会では、加害者の刑罰が少しでも重いことが、被害者の権利確立に通じるという情念で働いているように感じられます。そのため、修復的司法とか、和解という意味会いの言葉がどこかででてくると、犯罪被害者の会幹事会では、被害者に対しての裏切り行為のように感じられるようで、加害者を擁護することになるらしく、激しい攻撃にあうことがあります。

遺族は、「家族を殺害した加害者に復讐したい」という辛いおもいを語る吐露する子とも必要なことだと思います。復讐を語るなとはいえません。「犯罪被害者の会」は、遺族の自助グループではなく、被害者の権利確立の運動体としての働きかけを行なう団体として設立しました。「報復感情を全面に実現したいという情念からの被害者の権利確立の動きには、賛同できず、それを論議することは、遺族の感情を著しく傷つけることになるので、辞任することにしました。

 

2、全国制覇の運動形態をとること

  いろいろな被害者団体とネットワークを創っていくことから『被害者の権利を確立する運動』ができると考えています。

 ところが、犯罪被害者の会は、犯罪被害者の会をトップとして下部組織をかかえる全国制覇的な運動を展開していこうとしています。そのため、2001年11月18日の同会の総会において、『全国犯罪被害者の会』と改名しています。トップダウン式の運動の展開に対して、意見を主張していくことは、エネルギーが必要でした。エネルギーはもっと有効につかおうと決めました。

 

3、民主的な運営とはいえないこと

  犯罪被害者の会は、日弁連元副会長の岡村勲さんを代表幹事として動いています。男性社会の企業など、組織運営の一つの形態として、トップダウン方式で権威者の言 動を自らの決定とする構造があります。

「犯罪被害者の会」にも、「代表幹事=犯罪被害者の会」の構造があり、そこから脱することができない幹事会の追従と幹事への縛りがあります。

 地方議会も男性社会ですが、とりあえず議会には民主的運営のルールがあります。そこを突破口に家父長的な運営を民主的な運営に変革する努力ができます。

「犯罪被害者の会」は、被害者の怒り、絶望感・あきらめ・人への憎悪、復讐・怨念と

いう感情が渦巻いています。このような情念を持続的に燃焼させていこうとするグループのなかで、民主的なルールにしたがってやっていこうよという働きかけは、「遺族ではないからわからない」、「遺族の感情を損なう人」という反発を招くようです。

『被害者や遺族は正義である』という情念のなかでは消耗が大きく、かかわりたくないという思いが強くなりました。

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3、大阪教育大付属池田小事件の遺族への対応から

 

岡村勲さん他数名、池田小遺族宅弔問

 犯罪被害者の会の幹事ら数人が6月17日、大阪教育大付属小の児童殺傷事件の遺族

宅を訪問しました。その日夕方、大阪のある報道関係者からの電話です。「岡村勲さんが、池田小事件の遺族宅を訪問しているニュースをテレビで放映していた。当社は、遺族宅には、記者をはりつけていないのだが、いったい岡村さんは、被害者の会として、弔問したのか、個人として弔問したのか」という問い合わせでした。

この問い合わせには仰天しました。被害者の会で、いままで遺族宅を訪問したことなどないし、まして、事件直後の話しです。

 

大阪府被害者対策室の案内による弔問

遺族宅は、プライベートな情報ですから、弔問するにしても、学校まではいけても、自宅までは、いけないはずなのです。どのようなルートで遺族宅弔問が可能になったのか、これが、とても気がかりでした。

又、被害者遺族というだけで遺族の家を訪問してよいのか・マスコミが取り上げるセンセーショナルな事件の遺族だけをマスコミがほしい絵柄を結果として提供することになるような行為をおこなってよいのか。

 数多く新聞に報道されない事件があります。その人達も遺族だったり、被害者だったりします。すべての被害者に被害者情報や支援情報を提供をすることができないシステムのなか、マスコミがこぞって取り上げる特定の事件の人のみを弔問し支援することは、不公正な動きかたである。運動としてゆるされないと考えていました。

やがて、この弔問を、大阪府被害者対策室が先導したことがわかりました。

警察では、『犯罪被害者の会代表幹事』の肩書きが有効なようです。

 

遺族は見知らぬ遺族を弔問してもよいのだろうか

被害直後の遺族や被害者は、感情が凍結していて冷静になり、一体自分が何を感じているのかわからない状態になります。そのような時の危機対応はとても大切です。

ただ、これを「犯罪被害者遺族」という肩書きで行なうことを是とするか気にかかるところです。アメリカやイギリスなどは、特定の被害者支援機関が一定の訓練を受けた人が、危機対応を行なっています。犯罪被害者の会では、そのようなシステムをまだ構築していません。危機対応を行なう支援機関でもありませんでした。

又、「犯罪被害者の会」はすべての遺族、被害者に緊急対応をすることはできません。運動体としてすべての犯罪被害者・遺族に公平に接するためにも、問題は大きいと思っています。大変な事件の遺族が一番苦しくて、小さな傷害事件の被害者や家族は、被害者とはいえないといった種類の被害の差別化を進めて行くように思えます。

それは、しばしば、交通事故死の遺族より、通り魔殺人の遺族のほうが辛いのだという議論のような生命の重さを秤にかける結果になります。

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、被害者支援を創る会

 私は、犯罪被害者の会の設立と半年ほどずれ、地方議員を中心とした勉強会「被害者支援を創る会」を始めていました。嵐山町で制定した嵐山町犯罪被害者等支援条例と同様な施策に全国の市町村が取組む必要があると考えていました。

地方自治体やコミュニティなど生活の場での被害者支援(交通事故・災害・自殺者の家族も含める)をはじめ、「被害者が被害から再び生きること」、そのための支援をさまざまな形で展開できることが人のすむ温かいコミュニティをつくることになるからです。

自治体やコミュニティでは、被害者支援を創る草の根運動を始める啓発と勉強会です。

「被害者支援を創る会」は、たまたま集まった人が東京都の地方議員が多く、東京を中心にして、セミナーを開催してきました。又、東京都議会議員選挙のために『被害者支援』を施策として取り入れるよう啓発するアンケート調査を実施しました。

被害者支援を創る会のホームページを作成しました。東京多摩地区能自治体が被害者支援の施策に取組むために、11月10日、簡単なシンポジウムを立川市女性センターで開催しました。地方自治体やコミュニティが被害者支援を行うための入門書として

「はじめよう!被害者支援」を出版しました。

草の根で地道な運動を創って行きたいと考えています。

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